インディビジュアリストの憂鬱

発菩提心 ~悟らずして死ねるか~

海に沈む88日前

「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ。」

ちょっと言い換えてみようか。

「出来事は『頭の中』で起きてるんじゃない、『今、ここ』で起きてるんだ。」

本来、過去や未来があるのではない。

あるのは記録や予測が頭の中にあるだけ。

妄想の暴走を止めよ。

体験の体験者となれ。

 

目覚める88日前

もう上も下も、右も左もない。

沈んでいるはずだが、それすらよくわからない。

上昇しているのかもしれないし、右に進んでいるのかもしれない。

あるいは左に引き戻されているのかもしれない。

もう、そんなことどうでもいい。

ただ、ただ力を抜き、あるがまま、あるがまま。

海の中にいるはずだが、宇宙の真空状態の中にいるようだ。

いや違う、真空なんてものはなかった。

海の中の、水のように身体は何かしらの分子や原子、粒子、素粒子によって繋がっている。

「繋がられている」と言った方がいいのかもしれない。

分離しているかと思われたものも、実はひとつだ。

境界は無い。

それは無境界だ。

海に沈む89日前

夢が夢でなく、それが現実?

現実が現実ではなく、それが夢?

なんなんだ!?

違う違う。

そうじゃない。

それを語っている、そのものは?

パラドックス?』

そう、パラドックス

目を覚ませばわかる。

今、目を覚ましているよ。

本当に目覚める?

それって、どういう意味??

どんなにリアリティを感じていても、一瞬の体験者から常にこぼれ落ちている。

だから、そのリアリティは夢のそれと変わらない。

ただの脳内の電気信号でしかない。

だから、それはパラドックス

目覚める89日前

今日も海の外は晴れだろうか。。。

上を見上げると、まだほんのり明るい。

でも、もう少ししたら、上も下も、右も左もなくなりそうだ。

まだ沈んでいる感覚はあるが、それもやがてなくなるだろう。

そうしたら、沈んでいるのか、浮遊しているのか、上昇しているのかもわからなくなる。

 パラドックスな世界だ。

海に沈む90日前

一切皆苦

この世のすべては「苦」。

苦しみで成り立った世界が現成しています。

すべて、ご都合よくはいきません。

それを体感として知ることです。

観照者となりなさい。

欲望、煩悩の存在が観えてきます。

「欲望、煩悩を持つな」とは言っていません。

強欲がいけないのです。

欲望、煩悩を制御できればいいのです。

 

これはブッダとなった釈迦が、最初に行った説法「初転法輪」で語られている。

四つの真理、「四諦(したい)」である。

その四つの真理とは、「苦諦(くたい)」「集諦(じったい)」「滅諦(めったい)」「道諦(どうたい)」である。

 

目覚める90日前

深く深く潜っていた。

と言うより、落ちていた。

泳ぐことを止めた。

手足をバタつかせることも止めた。

そしたら、ただただ海の底に向かって落ちた。

沈んでいく中、上を見上げると、波に乱反射しながら空が見えた。

太陽は白く輝いている。

さらに沈んだ。

波と波がぶつかり合う。

その気泡の中に、様々な色を見た。

そして、さらにさらに沈んだ。

あたりは少しずつ暗くなってくるが、見上げるとまだ波がぶつかり合うのが見える。

気泡の中の様々な色は消え、白く光っていることが微かに判る。

意識が薄れる中、海に沈む90日前を思い出していた。